ニ十歳からの学級通信

十代の君に教えそびれたことがある

吉田寮食堂10月公演『今』を観てきました。

吉田寮食堂10月公演『今』。

10月を期限に寮生にタイキョが命じられている吉田寮で10月に芝居。

反対派のプロパガンダ芝居かと思いきや(勿論、寮生は反対派のプロパガンダ芝居をしてもいいと思います)、意外と大局的…というか、ある意味アイロニカルな脚本だった。
曰く、大正時代に今の吉田寮の建物が建てられる際に旧寄宿舎が取り壊されており、舎生たちは反対していたという由。
自治と管理のせめぎあいは、吉田寮百年の歴史の最初から存在していた(どころか自治に管理が勝つことで始まった)のだという。

いや今ね、フジテレビの例の特番並に結構エグい感じでタイキョを迫られてるじゃないですか吉田寮生。もっと、子供みたいに駄々こねる権利があると思うんですよ彼らには。

でも、ここでこの『今』という芝居は吉田寮百年を、ある意味すごく冷徹に見つめている。シュプレヒコールを叫ぶ代わりに、百年前の自治の敗北を淡々と描いている。
いや、厳密には自治と管理のせめぎあいが正面から描かれている訳ではなく、それを背景とした建設事務所に出入りする人間の交錯を描いている。

建設事務所の関係者はいわゆる大学当局という訳ではないが、どちらかといえば「自治と管理」の管理側の人間である。そんな彼らは舞台上で糾弾されるべき批判対象としてではなく、彼らなりに理念もあれば情もある一個の人間として描かれている(というと言い過ぎか)。
そんな彼らの(彼らなりの)努力の末に、京都大学学生寄宿舎は完成する。
とまれこうまれ、現吉田寮の誕生である。

作者は、吉田寮取壊しに反対するべくこの芝居を書いたのだと思うので、何だか逆説的だが、京大当局による吉田寮取壊しの件が何だかとってもちっぽけなものに思えてくる。
舎生の反対を押しきり、旧棟を潰して建てた現棟がむしろ旧棟時代にまさる自治を成し遂げたように、自治と管理の押し問答の歴史全てが京大吉田寮である気がしてくるし、一時管理側が勝とうがそれすら歴史の中に飲み込んで京大吉田寮は不滅なのだろうと思わせてくれる。

すごくローカルな設定で、歴史の中のほんの一瞬を切り取った作品でありながら、吉田寮百年の歴史を描ききった、あるいは人の営みの総体を描ききったようなスケールのでかい時代物であったと思う。
さすがに誉めすぎか。

ものすごく長くなったので未来篇の感想は割愛。
気が向いたら書くかも。