ニ十歳からの学級通信

十代の君に教えそびれたことがある

時を渡るガーディアンと時のオカリナPart2

ゼルダ無双の考察続き。


テラコが、王家がシーカー技術にアクセスするためのインターフェースだとしたら、考えなくてはならないことがある。


①そんな物があるならなぜ過去のハイラル王家はシーカー族を恐れ、弾圧し、「古代遺物」を封印したのか?

②なぜそんな重要なことが忘れ去られたままテラコが幼いゼルダの手に渡ったのか?

③なぜテラコは壊れており、なぜ幼いゼルダが直したのか?

④なぜこの設定をもっと作中で匂わせなかったのか?


①解答。ブレスオブザワイルドの時点がそうだったように、聖なる力に目覚めた王女がいなければテラコは起動しない。いつ何時でも王家がシーカー技術の手綱を握れるとは限らないから。

ゼルダの母親が死んだ直後はまだ起動しているが、その少し後のハイラル王がゼルダからテラコを没収する場面ではテラコは起動していない。次に起動するのはゼルダの覚醒。


②③解答。「古代遺物」は封印されただけであり、当然有事の際に再び掘り起こすことが想定されていたので、テラコもまた破棄されなかった。

テラコの素体が時のオカリナだとしたら、代々王家の女性に受け継がれてきた可能性が高い。しかしテラコが時のオカリナそのものではないとすれば、「楽器」としてハイラル王家に仕えたシーカー族の宮廷詩人が代々受け継いできたということもありうる。


ゼルダに身分違いの恋をしていたというシーカー族の宮廷詩人だが、厄災復活への備えとして詩人が新たに雇い入れられたとは考え難い。となると厄災復活の予言とは関係無く、代々宮廷詩人として王家に仕え続けてきたのだろう。

となると、その使命は、古代遺物関係の歌を語り継ぐことと、「楽器ガーディアン」テラコの保守だったのではないか。

実際にテラコを手元に置いていたのが代々の王家の女性だったにせよ宮廷詩人だったにせよ、長い間壊れていたテラコを幼いゼルダが修理するに至ったのは、シーカー族宮廷詩人がゼルダに持ち掛けたからかもしれない。


時のオカリナで太陽の歌を研究していた宮廷音楽家シャープ•フラット兄弟を、シーカー族として描いている二次創作もある。

スカイウォードソードでもインパが時の扉と聖なるハープを管理していたと思われる。

シーカー族が有史以来「時」と「音楽」を司ってきたと考えると感慨深い。


ちなみに、ハイラル城内の天文観測室(ボス部屋ね)が破却されておらず、占星術という形で厄災復活の予兆を探知する術も宮廷に伝え残されていたと思われる。

「占い」がハイラル王家の姫の「予知夢」と同種の物だったら意味がない。その正体は古代シーカーの天文学知識に基づく観測術と考えれば、古代遺物のあちこちにやたらと星座が象られていたことにも説明がつく。

厄災復活を予言した占い師とアストルの関係は分からないが、星座を映す古代遺物を所持していたアストルは少なくともこの「宮廷占い師」と同じ流派に属するのだろう。


④解答。ブレスオブザワイルドの続篇が製作中だが、任天堂は遊びの要素がまずあって、あとでストーリーや設定を決めている。

任天堂の開発スタッフに配慮して、ゼルダ無双開発チームが壮大な公式設定を打ち出す訳にはいかなかった。


いずれも想像の域をでませんが、こういう考察次第で大きく評価の分かれるゲームなので、是非とも想像を逞しくしていきたいところ。

時を渡るガーディアンと時のオカリナPart1

この土日は職場が閉められて休日出勤ができない。

そこで、「ゼルダ無双 厄災の黙示録」の考察(?)を書きたくなったので書く。

多分周り誰もやってないし、Twitterで連投しても迷惑なのでわざわざ昔のブログアカウントを引っ張り出して書くのである。


あ、ネタバレします。




テラコは結局何なのか。

これは既に誰かが考察しているだろうけど、時のオカリナの成れの果て、あるいは時のオカリナの機能を搭載した「マザーガーディアン」なのだろう。

作中でプレイアブルキャラとして使えるが、テラコの主機能は戦闘ではない。

ハイラル王家の王族が「古代遺物」一式の使用において最終決定権を握れるように、シーカー技術の専門知識が無くても音声を介して操作できる「インターフェース」のようなものなのではないか。

その際に、王家に代々伝わる時のオカリナを素体にしたか、その力を解析して再現したものなのではないか。

これによってシーカー族ハイラル王家に独断で技術を行使することを防いだのだろう。


傍証は幾つかある。

•幼少期のゼルダが所持(=厄災復活が予言されて各地で遺物発掘が始まる前からハイラル城に存在していた)

•携帯に便利な小型サイズ

•オルガンのパイプのような音を鳴らすための機構がボディの大半を占める構造

•それによる、人間との音声コミュニケーション

•古代エネルギーではなくハイラル王家の「聖なる力」で駆動する

•シーカーストーンの機能拡張、シーカータワー、ガーディアン、神獣のコントロールが可能

•時渡りの力(時のオカリナ、時の歌の力)

ゼルダの感情を察知し、TPOに応じてゼルダの子守唄を演奏


となると新たな疑問が色々湧いてくるが、続きはまた次回。

吉田寮食堂10月公演『今』を観てきましたpart2

表題の芝居は過去編の「宵山」と未来編の「盆」を交互に演じる公演である。結局書かないとモヤモヤするので「未来編」にもコメントする。

 

さて、前回「過去編」の感想で、「ある意味アイロニカル」「すごく冷徹」と書いた。

 

ところがどっこい。この「未来編」は手塚治虫の『火の鳥 未来編』ばりに結構な遠未来なのだが、吉田寮(らしき場所)が当然のように存在している。

 

小林欣也という男は吉田寮が遥か彼方の未来まで存続することをナイーブに信じてるのだ。

全然シニカルじゃないじゃん。めっちゃドリーミーじゃん。

これはちょっと凄いことですよ。

吉田寮百年の歴史、その自治と管理の相剋を巧みに描いて見せた男が、一方でこうドリーミーであるというのは、つまり自治の勝利宣言に等しい。

つうかもう宣戦布告じゃん。

 

とはいえ、この未来編における自治寮の存続は決して華やかな勝利としては描かれていない。

 

作中の描写からして、どうも本体である京都大学がもうとっくに地球を去ったか(もしくは滅んだか)してもまだ吉田寮は当地に残っている、というフシがある。

付属物であるはずの学生寮が大学より長生きしてるのだから、恐るべきことだ。

だが、ここで過去編の作劇法に倣って『管理者』側の視点に立ってみると、この状況は管理者が管理すべき対象を見失ったともとれるし、自治寮を見棄てたとも言えるかもしれない。管理者たる京都大学(のようなもの)は地球なんぞに存在する某寮を最早脅威とも認めておらず、管理する価値を見出だしていない。

 

こんなに淋しいことがあるだろうか。

 

厳密には作中で、その場所の管理会社から派遣されたと名乗る男がその空間の解体を宣言する場面があるが、これは狂言であり、どころか彼の発言は全て虚言であった。そして、あえて解体宣告を虚言・狂言として描くことで、真に解体を宣告する者は不在であることが強調されている。

 

切ない勝利である。

 

作中世界は木々もセミもほとんど機械に置き換えられており、「その場所」だけが本物のセミと木々、それと本物の生活を有している。

 

そこまで来たら、それは「最後の理想郷」などではなくもう一種の博物館である。

 

つまり、吉田寮の歴史に終わりがあるとすれば、それは管理による自治の粉砕ではなく、管理側の忘却によって静かに自治が完遂されそしてそのまま閉じていく時なのではないか、と。

そして、そうであっても、歴史の幕が完全に下ろされるその時まで、その場所を愛する人達がゴチャゴチャと自堕落に、そして彼らなりに強かに生きていくのだろう、と。

 

この芝居はそういってるのかもしれない。(違うかもしれない)

 

なんて冷徹でアイロニカルなんだ…。

 

しかし、これ以上に痛烈な京大当局批判も無かろうと思うのである。

吉田寮食堂10月公演『今』を観てきました。

吉田寮食堂10月公演『今』。

10月を期限に寮生にタイキョが命じられている吉田寮で10月に芝居。

反対派のプロパガンダ芝居かと思いきや(勿論、寮生は反対派のプロパガンダ芝居をしてもいいと思います)、意外と大局的…というか、ある意味アイロニカルな脚本だった。
曰く、大正時代に今の吉田寮の建物が建てられる際に旧寄宿舎が取り壊されており、舎生たちは反対していたという由。
自治と管理のせめぎあいは、吉田寮百年の歴史の最初から存在していた(どころか自治に管理が勝つことで始まった)のだという。

いや今ね、フジテレビの例の特番並に結構エグい感じでタイキョを迫られてるじゃないですか吉田寮生。もっと、子供みたいに駄々こねる権利があると思うんですよ彼らには。

でも、ここでこの『今』という芝居は吉田寮百年を、ある意味すごく冷徹に見つめている。シュプレヒコールを叫ぶ代わりに、百年前の自治の敗北を淡々と描いている。
いや、厳密には自治と管理のせめぎあいが正面から描かれている訳ではなく、それを背景とした建設事務所に出入りする人間の交錯を描いている。

建設事務所の関係者はいわゆる大学当局という訳ではないが、どちらかといえば「自治と管理」の管理側の人間である。そんな彼らは舞台上で糾弾されるべき批判対象としてではなく、彼らなりに理念もあれば情もある一個の人間として描かれている(というと言い過ぎか)。
そんな彼らの(彼らなりの)努力の末に、京都大学学生寄宿舎は完成する。
とまれこうまれ、現吉田寮の誕生である。

作者は、吉田寮取壊しに反対するべくこの芝居を書いたのだと思うので、何だか逆説的だが、京大当局による吉田寮取壊しの件が何だかとってもちっぽけなものに思えてくる。
舎生の反対を押しきり、旧棟を潰して建てた現棟がむしろ旧棟時代にまさる自治を成し遂げたように、自治と管理の押し問答の歴史全てが京大吉田寮である気がしてくるし、一時管理側が勝とうがそれすら歴史の中に飲み込んで京大吉田寮は不滅なのだろうと思わせてくれる。

すごくローカルな設定で、歴史の中のほんの一瞬を切り取った作品でありながら、吉田寮百年の歴史を描ききった、あるいは人の営みの総体を描ききったようなスケールのでかい時代物であったと思う。
さすがに誉めすぎか。

ものすごく長くなったので未来篇の感想は割愛。
気が向いたら書くかも。

選挙に行こうpart2 誰に投票すればいい?

・戦略的投票を覚えよう!

 

では選挙に行くとして、どうやって投票先を決めればいいでしょうか?

 

この時にまず気をつけなくてはいけないのが、自分が政権をとって欲しい政党や当選してほしい候補者に投票すればいいとは限らないということ。

 選挙は「よりよい候補」を選ぶのではなく、「まだマシな候補」を選ぶもの、もっと言えば「こいつだけは政治家にしちゃいけないヤツ」を落とすためのものです。

 そして、「自分の代弁者を国会に送り込むもの」ではなく、「赤の他人に自分の願望を叶えさせるもの」です。

 

 そのためには戦略的な投票行動が必要になります。

現政権の支持率や自分の選挙区事情などでとるべき戦略は変わりますので一概には言えませんが、以下はそうした行動の例です。

 自分の選挙区の結果だけで国政はひっくり返らないことを逆手にとり、政権担当者を決めるのではなく、国会の議席のパーセンテージを調整するつもりで投票するのがコツです。

 

①現政権に何の不満もない

 →政権与党に投票

②現政権を支持するが、特定政策に不満

 →現政権が安定していればその政策に批判的な野党に投票

  政権が不安定なら与党に投票。候補者個人の政策観にもよるが。

③与党を支持するが、首相の交代を望む

 →政権が安定していれば最大野党に投票。

  政権が不安定なら、自分の選挙区の与党の候補の派閥次第。

④支持政党は無いが、特定政策を重視

 →与野党問わず特定の政策分野に長けた候補者を選び出して投票。

政権交代を希望する

 →政権が安定していれば最大野党が気にくわなくても最大野党に投票。

⑥当選させちゃいけない奴が有力候補だ

 →二番目の候補者が気にくわなくても二番目の候補者に投票。

 

 

・「メディア」を冷静に見つめよう

 

 我々はメディアを通して候補者を吟味するしかありませんが、何となくの印象や知名度に流されてはいけません。

 一番良いのは、直接でも動画配信でもよいので、候補者本人の演説を聴くことです。

 次に候補者や政党のウェブサイト、SNS、チラシで政策理念や公約を調べること、さらに新聞や報道番組、選挙用の特設サイトで各候補者を比較することが重要です。

 

ただし、ここで絶対に気をつけなければいけないのは、候補者によっては平気で嘘をついたり自分の実績を誇張したり、ライバルを不当に中傷したりするということです。

また、抽象的で曖昧なことしか言わず、全く具体的でない発言が目立つ候補者もいます。

そのうえ、具体的なデータや資料を載せていても、グラフの目盛りをごまかしたり、途中で計算方法が変わっていたりと悪質なデータを載せている場合がありますので鵜呑みにしてはいけません。

 

 以下、候補者選びで僕が注意しているポイントをいくつか列挙してみました。よければ参考にして下さい。

 

①政治家としてのルールを守っているか

政治もスポーツも、大人の仕事は結果が全てですが、それはルールを守っていればの話です。

②自分の最重要事項に対する政策

たとえば僕の場合は教員定数の改善、学校教育政策は死活問題になります。教員が自分で学校を守らなければ他に誰も守ってくれません。そういった、趣味や職業に基づく自分の最大の関心事に対する政策の有無は重要です。

③過去の言動

選挙は日本の「近未来の話」をするものですが、その未来の実現性がどれくらい信頼できるかはその政党(候補者)の近過去の振る舞いから判断するしかありません。公約を「守る力があるか」も重要ですが、公約を「守る気があるか」はもっと重要です。怪しいと思ったらここ数年の言動を遡りましょう。

④与党は自分の実績を(野党は与党の過失を)誇張していないか

景気や雇用、財政状況や外交トラブル件数の変化については与党の政策の結果なの かどうか、長いスパンでデータを見ないといけません。特に与党の場合、政府を通じて自分に都合の良い統計を出すことがありえます。

⑤発言内容は具体的か

「守る」「しっかり」「丁寧」あたりは要注意。「改革」もどの条文をどう変えるのかで意味が大違いです。

選挙に行こうpart1 選挙に行くべき3つの理由。

・市民の責務を果たし、勉学の成果を発揮する

 

 日本は一応民主主義国家です。政治参加は市民の義務にして権利です。

責務を果たす(権利を行使する)というのは気持ちいいものですよ。

実際、投票に行くと何か立派な大人になったような気がするものです。

 

 そして何より、学校というものは民主主義国家の成員を育成するためのものですから、有権者にとって投票とは十二年にわたる学校の勉強の集大成なのです。大学受験でも就職活動でもありません。

 

 どんな大金持ちでも義務教育は受けることになっています。

 それは、たとえ働く必要のない人間でも政治参加の義務があるからです。

社会に出る力・社会で生きる力を身につけるのも大事ですが、社会を変える力を養うことは学校教育の最終到達目標の一つなのです。

みなさんが「これが自分の将来何の役に立つのか」と思っていたあんな教科やこんな科目も、全てはこの日のためにあったと考えて下さい。

 

 僕の学生時代、物理は必修ではありませんでした。

それで困ったという自覚は日常生活ではありませんが、原発政策について有権者として判断するときに、大変困っています。

 高校時代好きだった歴史の知識は、お金にはなりませんが、政治ニュースのチェックには有用です。

 

 学校で習ったどの分野の知識・技能が欠けていても日本の政治を適切に評価することはできないでしょう。

 過激な言い方になりますが、これらの知識・技能を総動員して合理的な政治行動をとれる者が真の優等生であり、選挙権を持っていながら投票に行かない者がいるなら、それは我々の教育の根本的な大失敗であると僕は思っています。

 

 

・浮動票の価値を上げ、組織票の価値を下げる

 

 ちょっと風呂敷を広げ過ぎたかもしれません。

もう少し地に足の着いた話をしましょうか。

上の項を読んで「そうはいっても自分一人が選挙に行ったぐらいで何も変わらないし」と思った人。とんでもありません

 

 政党というのはたいてい支持団体というのを持っています。

各団体は自分達の業界の利益を守ってもらうため、特定の政党を応援し、組織的に投票するわけですね。

 それ自体は悪いことではなく、それによって労働者の権利や公共サービスの充実、市民の自由が守られているのですが、大企業や宗教団体が政党にする要求の中には大多数の市民の利益と相反するものもある訳です。

 従って、みなさんが投票を棄権した場合、「自分以外の大勢の市民が真っ当な候補者を選んでくれる」のではなく、「力の強い誰かにとって都合のいい候補者が組織票で決められる」と言ったほうが正確です。

 組織票が全て悪いとは限りませんが、よく考えてみて下さい。

 

 現在の日本の選挙は小選挙区制を基本としており、一つの選挙区から当選が一人しか出ませんから、どれだけ接戦しても、二番目の候補者は落選します。

 その結果、有権者に棄権が多いと、組織票の力もあって全国の選挙区でギリギリ当選を続け、実質支持率二割程度の政党なのに国会の議席の大半を占めるということが起こりえます。

 組織票の反対を浮動票と言いますが、浮動票というものはみなさんが思っている以上に重要なのです。

 

 

・世代別の投票率を上げる

 

 みなさんが絶対に選挙に行ったほうがいい理由はもう一つあります。

こちらの理由のほうがみなさんにとってずっとリアルな問題だと思います。

 

日本の選挙は秘密投票ですから、あなたが「誰に(どこに)投票したか」は誰にも知られることはありませんね。

しかし、二重投票を防ぐためにも「誰が投票に行ったか」は集計されます。

その結果、都道府県や市町村区といった地域別の得票数・投票率、そして年齢・世代別の得票数・投票率が算出されることになります。

政治家が真剣に当選するための戦略を練るならば、投票率の低い地域(世代)は後回しにしよう」と判断することになってしまいます。

 

 そして、実際には投票率が極端に低い地域などそうそうありませんが、投票率が極端に低い世代というのは存在します。
 そう、この問題で一番深刻なのは10代・20代の投票率の低さです。
 ただでさえ絶対数(人口)が少ないのに、投票率が低いことによって皆さんは政治家に後回しにされ、損をしているのです。
 勿論、問題はそんなに単純ではありませんから、若者が選挙に行くだけで政治が何もかもすっかり変わる訳ではありませんが、たとえ白票でも無効票でも選挙に行く方が行かないより百億倍マシです。